38. 悲しいお話
膝の上ではしゃいでいた坊主はパッと目をそらし、母親の首にしがみついた。
母親もまた肩を震わせ、坊主の肩に顔をうずめた。
辺りは一瞬静まり返り、私を含めた数人は震えながら隣の車両へと急いだ。
私は博多での用事を済ませ、過剰に大きな声で挨拶をかましてくるJR若手社員を「ちょっと嫌だな~。心地よくないな~。嫌だな~嫌だな~。」とそんな目で見つめ8番ホームへと向かった。
いつものように豚骨臭い。
電光掲示板で「快速直方行2両」を確認すると、2両目のお尻のドアの前に並んだ。
あ、この「2両目のお尻のドア」ってのはホームに入ってくるときの所謂「博多行」の「2両目のお尻のドア」であって、「直方行」で言うと「1両目の先頭のドア」ですからね。これいっつも思うのは、もしこの開閉のタイミングで車両内で事故でも起こったら、警察なんかに電話するときに「すみません!博多駅の8番ホームに止まってる電車の2両目の、いや、この『2両目のお尻のドア』ってのはホームに入ってくるときの所謂『博多行』の『2両目のお尻のドア』であって、『直方行』で言うと『1両目の先頭のドア』ですから!」って言わなきゃいけないね。
と思ったけど2両だから安心だね。
警察の方も「ああ、そっちでしたか!すっかり『直方行』で言う『2両目のお尻のドア』かと思ったんですけど所謂『博多行』の『2両目のお尻のドア』の方でしたか!」って笑顔で許してくれるね。
電車が到着。
流れ出てくる一般人を待ち、いざ乗車!
端を取られロングシートの中央に陣取る!
因みにロングシートは所謂普通の7人掛けとかのやつね。
直進方向と垂直の2人掛けのやつがクロスシートね、僕はこの方が好き。
私の横には腰の曲がったおばあちゃん。
向かいには金髪の30くらいのお姉さん。
座席運でいうと40%くらい。
座席運一欄を載せたいけど割愛。
丸善で購入した本を開きゆらゆらと。
「今は完全に1両目の先頭のドア」からベビーカーを押す35くらいの可愛らしい奥様が。
すると前に座っていたお姉さんがサッと立ち上がり奥様に席を譲る。
席譲る速さ関東ベスト4、でも出来ればそういう人は乗ってきてほしくない想いの強さ関東ベスト8の私は、「こんな中央の席譲ってもベビーカー通路狭くて大変だし、降りるときもそこそこ手こずるだろうよ。ドア前の空間の方が広くてよくないか?」とお姉さんを横目に「でもこれが福岡の席ユズリストのやり方なのかな。地域によって癖みたいなのあるし。でもこのお姉さんは完全に井の中の蛙状態で全国大会に出るには程遠いな~。」なんて思っていると、奥様はアホみたいな笑顔で私の前に座った。
ベビーカーから坊主を離脱させ、自らの膝の上で抱きかかえる奥様。
奥様は可愛らしいのに坊主ときたら子供補正かけても全然可愛くない。
凄く似ていない。
これ奥様に似てなかったからいいけど、もし男が赤ちゃん産む生物だったらこの奥様絶対「あなたこれ本当に私との子?」って言っちゃうくらい似てない。
しかし可愛くないとはいえインチキ臭い可愛らしさは漂わせている坊主。
可愛らしいママンの膝の上で調子に乗って暴れ出す。
僕の横のおばあちゃんもニコニコしながら手を振る。
坊主も落ち着き、膝の上に立ちママンと一緒にベビーカーを持つ。
こんな感じ。
そしてアホな坊主は何故か持ち手を噛む。
噛むというより「ハムハム」する感じ。
それが可愛かったのか手を振りながら「ハムハム」を始める隣のおばあちゃん。
その時。
「カチカチカチッ」
「カタッ」
床におばあちゃんの「上段の歯」が。
空気が一変。
坊主は一瞬にして上段の歯をカパカパにしちゃった目の前の妖怪に驚きママンにしがみつく。
流石に坊主の前とはいえ笑いをコラえることが出来ず、坊主の肩に顔を埋め震えるママン。
親子の隣に座っていたギャルは口元をピクピクさせながら急に睡眠を始める。
本で顔を隠す程度では到底笑いをコラえきれない私と、妖怪のもう片方の隣のお兄さんが一緒のタイミングで席を立つ。
込み上げてくる笑いに体を震わせ足早に2両目に。
続いて更に2人。
4人は2両目に避難すると昔からの友達のように「いやいや嘘でしょ..」
と慰め合う。
一番可哀そうなのは、一番恥ずかしいのはおばあちゃん。
そのくらい分かってる。
でももう顔の筋肉がどうしてもピクピクしてしまったの。
ごめんねおばあちゃん、多分本当は城戸南蔵院前で降りるはずじゃなかったんだよね。
シトシト雨が降るおやつの時間のことでした。